Fw: エッセイ

Mushin (no mind)
You might have noticed that some of the best and most personally
memorable aikido classes are those you nearly didn’t go to because
either your felt too tired or that you just couldn’t be bothered. It’s
not that you were bothered enough to decide to go; it’s that you went
with no intention other than going! You might also have noticed that the
times when you have been surprised by the effectiveness and
effortlessness of your technique were often those when you gave up
trying, again either because you felt too tired or that you just couldn
’t be bothered. It’s not that you gave up trying, or were bothered
enough to try, it’s that you did it with no intention other than doing
it! These moments are glimpses of when we have no mind! No mind (Mushin)
is our ultimate goal in aikido; it is when we are devoid of thoughts,
anxiety, anger, fear, and ego, and are therefore free to act intuitively
and without hesitation. We respond subconsciously and in doing so draw
on techniques that have been engrained in our subconscious by continual
practise. Every day we empty our bladders; we practise it, day in day
out, subconsciously, without thinking. Yet, sometimes when we find
ourselves standing over a urinal in a crowded toilet of a pub thinking
about what we are about to do, we find we can’t go…. It’s like taking
a grading! We stop behaving intuitively and we either cannot do what we
have continually and subconsciously practised to do, or we end up doing
it ineffectively..! Therein lays not only the importance of continual
and repetitive practice, but also of not thinking about what you have
continually and repeatedly practised to do.
無心                 弐段 マーク デイビス      
 誰もが経験があるだろうが、一番よかった、あるいは一番覚えている合気道の
クラスとは、疲れているから、とか、行く気がしない、とかで、ほぼ休もうと思
いながら行ったときに起こるこのだ。そういうときというのは、やる気がないわ
けではなく、「行く」以外の意図が何もない。また、やはり疲れているとか、行
く気がしなくて、技をかけようとがんばらなくなったとき、まったく努力なしに
技がすっとかかるという経験をしたこともあるだろう。それはがんばることをあ
きらめたのではなく、挑戦することが面倒になったわけではなく、ただ「やる」
という以外の意図が全くない状態だからだ。私たちにはそういった何も考えない
瞬間がある。無心は合気道の最終目標だと思う。私たちに考えることが、心配が、
怒りが、恐れが、そして自我がないとき、ためらうことなく、本能的に自由に振
舞える。私たちが技を真似、それを何度も繰り返すことによって潜在意識へと刻
み込まれる。毎日私たちは膀胱を空にする。稽古する。毎日毎日、潜在的に、考
えずに。        たまに混んでいるパブのトイレでは、オシッコをした
いのに周りを気にして出ないことがある。まるで昇段審査を受けるときのようだ。
審査では、私たちは無心に動くことをしないため、今まで繰り返してきた動きが
できないか、できたとしても上手く技がかからないかだ。だから、繰り返しの稽
古を続けることが大切なだけでなく、稽古を繰り返しているときに何も考えない
ことが大切だ。

カメラのファインダーから覗くと、それはすべて被写体になります。写真のフ
レームで幅と高さが切り取られ、シャッタースピードで時間の尺が決まり、絞り
で空間の奥行きまでもが自分で調整できる、そんな被写体です。もっぱら撮るの
は、ダイナミックな動きをするものならば、犬か、或いは合気道か。その2つに
ほぼ限られてしまっているのですけれども、どちらも想像以上にとても素晴らし
い被写体なのです。
犬に関しては、自分の飼い犬がいますから、縁あって家に来たその瞬間からもう
何万枚と撮らせてもらっています。先代犬も含めると、ものすごい数になるので
す。鍛えられた犬の体の遣い方、本当に美しいですよ。機会があれば、是非じっ
くりと眺めてみてください。
合気道に関しても、「どんどん撮ってください」とおっしゃってくださる先生方
に囲まれているのです。とても運が良いと思います。そういった先生方のお言葉
に甘えつつ、その体の遣い方、間のとり方など、ファインダー越しに覗きながら、
目に焼き付け、一瞬先の動きを想像し、必死でピントを合わせ、夢中でシャッ
ターを切らせていただいています。
そうやって切り取られた1コマ1コマを見ていくと、「ああ、この体の遣い方、や
っぱり素晴らしいなぁ」と思わせてくれる写真が、そして被写体の動きが、後か
ら後から見つかってきます。と同時に、「あ!こんな動きをしていたのか!」と、
肉眼や動画では見えにくい一瞬が、そこに切り取られていたりします。たまには
「失敗」や「手抜き」なんかも写っていたりすることがあって、それはそれでと
ても勉強になります。
そんな「怖い」写真。ヘタクソなりに頑張って撮っています。合気道の諸先輩方、
いつか機会があれば撮らせてください。お願いします。

      
  せいぶ館UK   初段   山下慎治

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