合気道 神戸せいぶ館|合気会|笑顔があふれる楽しい道場

せいぶ館について

About SEIBUKAN

合気道とせいぶ館

せいぶ館は合気会に所属している、合気道の同好者が集う非営利のアマチュア組織です。

経験年数に関係なく、楽しく稽古しております。

はじめての方、ブランクのある方、大歓迎です。

一緒に合気道しましょう!!

合気道

合気道は昭和の初めに、不世出の武道家といわれた植芝盛平(1883-1969)によって創始された武道です。
植芝盛平開祖を道主として昭和23 (1948)年に組織されたのが財団法人・合気会で、開祖逝去後は植芝吉祥丸二代道主、植芝守央現道主へと継承されています。合気会は国内外に約160万人の登録者を持つ、合気道の正統かつ最大の組織です。

せいぶ館

昭和33(1958)年に神戸支部が発足して数年後、山端一夫・初代神戸支部長により兵庫区の「精武館」道場が支部道場として提供され長く支部会員に親しまれてきましたが、平成7(1995)年1月の阪神大震災で閉鎖のやむなきに至りました。その後の精武館第二道場を使った期間を経て、平成8(1996) 年12月、中尾支部長により現在地に建設された「せいぶ館」道場が、神戸支部道場として提供されて現在に至っています。

本部師範稽古

毎年、合気会本部道場の遠藤征四郎師範、栗林孝典師範、鈴木俊雄師範が指導に来神されます。

昇級 昇段

3月と9月に昇級・昇段試験が行われます。(受験資格を満たし、昇級・昇段後の作文提出が条件です)

海外交流

海外の道場ともかかわりが深く、様々な道場と交流を行っています。海外へ遠征に行ったり、海外からせいぶ館へ稽古に来られる方もたくさんいらっしゃいます。

地域交流

中学校の授業、大学、地域の各道場とも深いかかわりがあります。

せいぶ館 名前の由来

もともとは「精武館」という漢字の名前で、歴史のある道場でした。震災後に現在の道場を建てるときにひらがなの「せいぶ館」となりました。

なぜひらがな?

ひらがな

 

合気道のイメージは、漢字の力強い「止め」・「跳ね」・「払い」よりも、ひらがなの柔らかい曲線や払いのほうが合っているので、道場の建て替えを機会に親しみやすいひらがなに変更されました。

二人の先生の名前から

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名称未設定 1000 x 1000 px

せいぶ館にゆかりのある二人の先生の名前

 山口清(せい)吾
 遠藤征(せい)四郎

 精(せい)武館

道場建て替えの時に名前も新しいものに変更されようと考えられていましたが、もともとの漢字の「精武館」と二人の先生に共通する「せい」をいただき、呼び方はそのままに、今のひらがなの名前に変更されました。

せいぶ館の歴史

昭和33年5月
昭和33年5月

山端一夫支部長・米持英夫道場長の体制で、生田警察署柔道場を稽古場として発足。 この後、神戸市兵庫区に支部長により「精武館」道場が建設され、神戸支部道場となる。

昭和38年
昭和38年

横田金典道場長となる。

平成3年
平成3年

山端一夫支部長逝去。

平成5年
平成5年

横田道場長逝去。濱崎正司道場長となる。

平成7年1月
平成7年1月

阪神大震災で精武館道場被災。精武館第二道場が精武館・神戸支部となる。

平成8年12月
平成8年12月

中尾眞吾支部長により建設された「せいぶ館」道場が神戸支部道場となり、現在に至る

せいぶ館ギャラリー

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昭和36年に兵庫県石井町の
初代精武館支部長 故•山端一夫氏
が私財の投じた最初の道場

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昭和62年 中尾道場長が楠に作られた第二道場

S 10616861
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阪神大震災後、建設途中のせいぶ館

S 10616883

現在の道場

せいぶ館通信

せいぶ館通信は、昇級昇段審査の後に会員から寄稿される文章で構成された文集です。
せいぶ館の歩み、またそれと同じ時間を共有してきた道友のふれあいを垣間見ることが出来ます。
せいぶ館の事がもっと知りたい方は下記リンクよりどうぞ

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