ちょうど私が横浜に単身赴任が決まった際、濱崎先生から「横浜のIHI(石川島播磨重工)に合気道部があるよ。」と教えていただきました。そして現地に移りたまたま行った道場が、IHI合気道部とも親交があると言うことで、稽古に行かせていただくことになりました。
そこでTさんというIHI合気道部OBの方が指導されていたのですが、色々と話していて濱崎先生にこちらに来ることを勧められたと話したところ、「私は相生にいた時に合気道を始め、濱崎さんに合気道を指導いただいていたんですよ。」と教えていただきました。そして、「こうやって同じ先生に教えていただいたもの同士が、遠く離れた地で出会うのも縁ですね。」と言っていただきました。神戸に戻った際に濱崎先生にTさんのことを話すと、「あの頃は、まだ合気道の形がはっきりしていない時代だったな。」とおっしゃっていました。濱崎先生は長く合気道を続けられ、技だけでは無く縁も広げてこられたのだと感じ、自分も拙い稽古を続けながらも先生を見習い縁を広げていけたらと考えています。
そこでTさんというIHI合気道部OBの方が指導されていたのですが、色々と話していて濱崎先生にこちらに来ることを勧められたと話したところ、「私は相生にいた時に合気道を始め、濱崎さんに合気道を指導いただいていたんですよ。」と教えていただきました。そして、「こうやって同じ先生に教えていただいたもの同士が、遠く離れた地で出会うのも縁ですね。」と言っていただきました。神戸に戻った際に濱崎先生にTさんのことを話すと、「あの頃は、まだ合気道の形がはっきりしていない時代だったな。」とおっしゃっていました。濱崎先生は長く合気道を続けられ、技だけでは無く縁も広げてこられたのだと感じ、自分も拙い稽古を続けながらも先生を見習い縁を広げていけたらと考えています。