合気道 神戸せいぶ館|合気会|笑顔があふれる楽しい道場

神戸
せいぶ館

2014年6月

遠藤先生稽古会&甲南大学との合同稽古

○7月19日(土)5:30〜7:30 せいぶ館
、(道場手狭の為、会員のみの稽古です)

○7月20日(土)10:00〜12:00 甲南大学
 (参加者は全員、雑巾を持参して下さい)

■他道場の方は、事前にお知らせ下さい。
□参加費(当日までに、振り替えて下さい)
 一般¥2,000/日・学生(23歳以下)¥1,000/週
 郵貯銀行 口座番号 14340−56119711 せいぶ館 佐治孝雄
  

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ベイトマンニュース Letter from UK

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ベイトマンニュー
ス Vol.327      2014/06/22
6月に入り(っちゅうか、いつの間にかもう6月も後半戦になってる!)、イギリ
スはすっかり夏らしい、気持ちのいい日々が続いています。気温も20度を越える
ようになり、カラっとしたお洗濯日和です。                
                    そんな中、私たちは1年で一番忙し
い1週間である、中尾先生ご夫妻をお招きしての合気道三昧の1週間を過ごしてい
ました。疲れたけど、充実感でいっぱい・・・そんな1週間の様子をお伝えしま
す。
〜今年の学び〜                             
     今年の中尾先生ご夫妻のイギリス訪問は、例年に比べて数ヶ月早くな
り、5月末っちゅうことになりました。イギリスの合気道のメンバーが日本に来
たのが4月やったから、4月5月と2ヶ月続けて合気道三昧の1週間を過ごすことに
なります。日本での合気道と観光に明け暮れたホリデーで精魂尽き果ててしもた
からなぁ。ようやく時差が戻って、通常の生活に戻って、疲れが癒えてきたとこ
ろなんです。いやいや、そんな弱気でどうする!気持ちを切り替えて、気合を入
れてがんばりますよ〜。                     合気道は
実に素晴らしかったです。今年重点をおいたのは、まず姿勢。後ろ足を伸ばし、
背中を伸ばし、肩を水平に、鼻筋を真っ直ぐに、眉毛を水平に、男前に・・・。
頭は胴体の真上に乗っており、天井から見下ろしたときには頭と胴体が一体に見
える感じで。     胴体は幹。腕は枝。手や指は葉っぱ。幹は強く、枝はし
なやかに、葉っぱは落ちる寸前の枯葉のように繊細で柔らかく。幹(腹)が強け
れば、枝や葉は自然と柔らかくなり、逆に枝や葉に力を入れてしまうと、幹がふ
にゃふにゃになる。うーん、難しい。         こういう中尾先生の合
気道は、全然痛くない。痛くないので恐くない。全身全霊でとりゃぁっと打って
いっても、ふわっと受け止められ、導かれ、いつの間にか床に転がっているとい
う摩訶不思議な合気道。相手が力を込めて打ってきたとき、それを同じく力で対
抗しようとすれば、力の弱いもんが絶対に負けてしまう。相手の力が強ければ強
いほど、自分は枝と葉の力を抜くことで、相手の力を吸収する。それから幹を使
ってとりゃぁっと投げる。あははは。わけわからんでしょう?摩訶不思議なんで
す。                  私のこれからの課題は、幹(腹)を
強くすること。そしてもうひとつは笑顔で楽しくすること。いやねぇ、自分で言
うのもなんですが、私はものすごく真面目な性格なんですよ。とにかく真面目に、
真剣に、一生懸命やるんです。合気道も必死に一生懸命がんばるもんやから、い
つの間にかめっちゃ恐い顔で取り組んでいるようで・・・。指摘を受けました。
爆。いくら一生懸命取り組んでいても、恐い顔してたらアカンよなぁ。やっぱり
楽しく、笑顔で、周りも明るくできるような雰囲気で、これからは合気道をして
いきたいな、と思ったのでした。
〜見て感じる〜                             
      今年の昇級昇段審査は、初心者の5級4級から、だいぶん上手になっ
てきた3級2級、そして本格的な始まりとなる1級初段、それから長いこと合気道
をやっている実力者の弐段参段まで、というバラエティに飛んだものとなりまし
た。こうしていろんなレベルの合気道を見れる審査は興味深いです。     
                       今回シンは3級、ブラちゃん
は参段の審査を受けました。私は今回は審査は受けず、いろんな人の受けを取ら
せてもらいました。ほんま、勉強になって楽しかったです。      後でシ
ンが興奮気味に話してくれました。「やっぱりすごいね。弐段とか参段とかの審
査は。僕のレベルとは全然違うわ。お父さん、やっぱり上手やなぁ。落ち着いて
たし。格好よかったわ。」自分はまだまだできひんことがたくさんあることに気
付いたこと、上段者の合気道はすごいと認められたこと、お父さんはすごい、と
思った気持ちを素直に表現できること。あぁ、シンもいつの間にか成長している
んやなぁ。しかも素直に真っ直ぐに。      中尾先生ご夫妻をお迎えして
の1週間は、私もブラちゃんも、とにかく必死に「やるべきこと」をこなしてい
くんです。そんな私たちをシンはちゃんと見ているんですね。今年は何も言わな
くても、シンは率先してできることを手伝ってくれ、仲間に溶け込み、合気道の
稽古も休まずに全部こなしていました。ほんま、放っておいても、子供はちゃん
といろんなことを見て、感じて、成長していくんですねぇ。うれしいびっくりで
した。
〜目的が違うと〜                            
     合気道の昇段審査前のこと。初段を受ける生徒さんが腰を痛めていて、
ものすごく強い薬を使わなければ動けないような状態でした。無理して審査を受
けることで、今後合気道を続けていけるかどうかもわからないという深刻な状況
で、本人も「どうしていいかわからない」ということだったので、先生からは
「そういう状況なら、今年は無理せずに、また来年受けたらどうか」とアドバイ
スされました。するとです、その生徒さんは逆切れして、ブラちゃんに対しても
のすごく怒ったんです。                        彼
はどうしても初段が欲しかったんですね。たとえ無理して合気道を辞めることに
なったとしても、初段が欲しかったんです。「どうしていいかわからない」っち
ゅうのは本心ではなくて、実はもう本人の中では「初段を取る」と決めていたん
やと思います。
シンは週一回日本語のレッスンに通っています。それは主にGCSEという試験を受
けるためです。その試験が先日無事に終了しました。うん、ようがんばった。さ
て、これからどうする?試験が終わったから、このまま辞める?う〜〜
ん・・・・。
私の職場は病院です。相手にするのは患者さん、人です。そやけど最近の若い看
護師さんの中には、お金のためや、ノルマ達成のために働いているとしか思えな
い人がいるんです。患者さんがナースコールを押していても知らんぷり。仲間が
手伝って!と助けを求めても拒否。彼女たちは患者さんと話すこともなく、薬を
渡し、点滴をするだけ。
中尾先生もおっしゃっていました。合気道をしている人には2種類いる。ひとつ
はただ合気道が好きな人。そしてもうひとつは段が好きな人。合気道がただ好き
でやっている人というのは、稽古がただ楽しいんですね。気持ちが安定していて、
稽古が楽しくて楽しくて仕方がない。一方、段が好きな人というのは、次の昇段
審査を受けるまでの稽古回数のノルマとか、審査で求められる技をマスターする
とか、審査を受けれるとか受けれないとか、審査に合格したとか落ちたとか、同
期が先に昇段したとか、後輩に追い抜かれたとか、とにかく気持ちが合気道だけ
に集中せず、浮き沈みするんです。それはきっと昇段したとしても、しんどくて、
あまり楽しくない道のりやないでしょうか。
日本語の勉強も、日本に行ったときに自信をもって人と話せるようになる、とい
うのが目的でありたい。試験は途中の通過点であって、シンには正しい日本語に
触れて欲しい。いずれ辞めてしまうにしても、今は日本語の土台を作ってもらい
たい。日本語が楽しいと感じてほしい。・・・結局は親の希望やけど、試験だけ
が日本語の勉強の目的になるのは、ちょっと寂しいやないですか。
仕事が楽しい、患者さんと話すのが楽しい、チーム一丸となって大変な仕事をや
り終えた充実感というのは、お金やノルマを目的にして働いている人には、絶対
に感じることができひんことやろなぁ。逆に、一回でもこういった充実感を感じ
てしまうと、お金やノルマだけを目的に働いているだけでは、確実に物足りなく
なってくると思います。
自分は何のためにやっているのか。その目的が違えば、感じる気持ちが違ってく
る。私は何をするんでも、できるだけ楽しいぃにやっていきたいな、と思います。
ってな感じで、今年もいろいろと感じることの多かった合気道ウィークでありま
した。今年のセミナーには、昨年までうちの道場で合気道をやっていたスイス人
(現在はスイスに帰ってしまいました。)が、わざわざスイスから来てくれたり、
今年で4回目となるセミナーに、毎年欠かさずやってくる合気道仲間と再会した
り、うれしいこともいっぱい。特にスイス人の彼なんかは、不器用で、合気道も
決して上手やないんやけど、こうして続けていてくれて、イギリスにまで来てく
れて・・・と感激しました。                  審査の後の
バーベキューパーティーには、私の友達4人も助っ人として駆けつけてくれ、な
んだかほんまに皆に助けてもろて、皆で楽しんだ今年の合気道ウィークでありま
した。         また来年、中尾先生ご夫妻に再会するまで、私たちも
がんばっていきますよ〜。もちろん笑顔でね。中尾先生ご夫妻、遠いところ、今
年も来て下さって、ほんまにありがとうございました。
ほんまはもうひとつニュースを書きたかったんです。救急車で患者さんを搬送し
てスコットランドまで行ったっちゅう壮大な話し。そやけどそれを書いてるとど
んどん長くなってしまいそうなので、それは次号に見送ることにしましょう。 
                      合気道ウィークが終わり、スコ
ットランドまで救急車で行く激務が終了し、ようやく通常の生活へと戻った私た
ち。さすがに疲れたんでしょう。いつのまにやら洗濯は山となっており、家は荒
れ果てており、主婦としては完全に手抜き状態でした。でも日が経つごとに疲れ
も癒え、今ではようやく洗濯をカラリと晴れた庭に干し、家の掃除をし、ようや
くすっきりした気分です。こうしてニュースを書くこともできました。やっ
と・・・。
さて、明日はシンの14歳の誕生日です。誕生日当日の明日、私たちはやっぱり合
気道に行かなきゃなんないので、今夜はシンの大好物の餃子と納豆ご飯でお祝い
しよう。14歳か。ほんまあっちゅう間ですね。
それではまた。誕生日の様子も次号でお伝えしますね。
                                あこ

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Fw: エッセイ

Mushin (no mind)
You might have noticed that some of the best and most personally
memorable aikido classes are those you nearly didn’t go to because
either your felt too tired or that you just couldn’t be bothered. It’s
not that you were bothered enough to decide to go; it’s that you went
with no intention other than going! You might also have noticed that the
times when you have been surprised by the effectiveness and
effortlessness of your technique were often those when you gave up
trying, again either because you felt too tired or that you just couldn
’t be bothered. It’s not that you gave up trying, or were bothered
enough to try, it’s that you did it with no intention other than doing
it! These moments are glimpses of when we have no mind! No mind (Mushin)
is our ultimate goal in aikido; it is when we are devoid of thoughts,
anxiety, anger, fear, and ego, and are therefore free to act intuitively
and without hesitation. We respond subconsciously and in doing so draw
on techniques that have been engrained in our subconscious by continual
practise. Every day we empty our bladders; we practise it, day in day
out, subconsciously, without thinking. Yet, sometimes when we find
ourselves standing over a urinal in a crowded toilet of a pub thinking
about what we are about to do, we find we can’t go…. It’s like taking
a grading! We stop behaving intuitively and we either cannot do what we
have continually and subconsciously practised to do, or we end up doing
it ineffectively..! Therein lays not only the importance of continual
and repetitive practice, but also of not thinking about what you have
continually and repeatedly practised to do.
無心                 弐段 マーク デイビス      
 誰もが経験があるだろうが、一番よかった、あるいは一番覚えている合気道の
クラスとは、疲れているから、とか、行く気がしない、とかで、ほぼ休もうと思
いながら行ったときに起こるこのだ。そういうときというのは、やる気がないわ
けではなく、「行く」以外の意図が何もない。また、やはり疲れているとか、行
く気がしなくて、技をかけようとがんばらなくなったとき、まったく努力なしに
技がすっとかかるという経験をしたこともあるだろう。それはがんばることをあ
きらめたのではなく、挑戦することが面倒になったわけではなく、ただ「やる」
という以外の意図が全くない状態だからだ。私たちにはそういった何も考えない
瞬間がある。無心は合気道の最終目標だと思う。私たちに考えることが、心配が、
怒りが、恐れが、そして自我がないとき、ためらうことなく、本能的に自由に振
舞える。私たちが技を真似、それを何度も繰り返すことによって潜在意識へと刻
み込まれる。毎日私たちは膀胱を空にする。稽古する。毎日毎日、潜在的に、考
えずに。        たまに混んでいるパブのトイレでは、オシッコをした
いのに周りを気にして出ないことがある。まるで昇段審査を受けるときのようだ。
審査では、私たちは無心に動くことをしないため、今まで繰り返してきた動きが
できないか、できたとしても上手く技がかからないかだ。だから、繰り返しの稽
古を続けることが大切なだけでなく、稽古を繰り返しているときに何も考えない
ことが大切だ。

カメラのファインダーから覗くと、それはすべて被写体になります。写真のフ
レームで幅と高さが切り取られ、シャッタースピードで時間の尺が決まり、絞り
で空間の奥行きまでもが自分で調整できる、そんな被写体です。もっぱら撮るの
は、ダイナミックな動きをするものならば、犬か、或いは合気道か。その2つに
ほぼ限られてしまっているのですけれども、どちらも想像以上にとても素晴らし
い被写体なのです。
犬に関しては、自分の飼い犬がいますから、縁あって家に来たその瞬間からもう
何万枚と撮らせてもらっています。先代犬も含めると、ものすごい数になるので
す。鍛えられた犬の体の遣い方、本当に美しいですよ。機会があれば、是非じっ
くりと眺めてみてください。
合気道に関しても、「どんどん撮ってください」とおっしゃってくださる先生方
に囲まれているのです。とても運が良いと思います。そういった先生方のお言葉
に甘えつつ、その体の遣い方、間のとり方など、ファインダー越しに覗きながら、
目に焼き付け、一瞬先の動きを想像し、必死でピントを合わせ、夢中でシャッ
ターを切らせていただいています。
そうやって切り取られた1コマ1コマを見ていくと、「ああ、この体の遣い方、や
っぱり素晴らしいなぁ」と思わせてくれる写真が、そして被写体の動きが、後か
ら後から見つかってきます。と同時に、「あ!こんな動きをしていたのか!」と、
肉眼や動画では見えにくい一瞬が、そこに切り取られていたりします。たまには
「失敗」や「手抜き」なんかも写っていたりすることがあって、それはそれでと
ても勉強になります。
そんな「怖い」写真。ヘタクソなりに頑張って撮っています。合気道の諸先輩方、
いつか機会があれば撮らせてください。お願いします。

      
  せいぶ館UK   初段   山下慎治

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広島国際

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 カロリン、ウエルナーの「広島国際」に行って来ました。
 
 色んな道場から50人ぐらい、チョット暑い中、熱い稽古をしてきました。縁が
出来て、もう足掛け10年位? になりますか? 馴染みの人達も多く、せいぶ
館での稽古と同じペースで稽古をしました、が稽古後の話しでは・・殆どの人が、
だいぶんしんどかったみたいで、ちょっとハンセイしています。小学校3年生の
女の子が、「受け身」が上手で、その子やその子のおかぁさんとも楽しく汗をか
いて来ました。
 
 この稽古会には、毎回、山口先生から教えを受けた人、安野先生の後輩が来て
いまして、先生の関わる、色んな話が聞けるのも楽しみの一つです。
 
 食後、酒処・西条の町を蔵巡り。よっちゃん・加藤一家&みぃちゃん・古林一
家も合流し、賀茂泉で利き酒。カロリンとは旧知の蔵元が丁度居合わせ、大盛り
上がり。子供達と竹とんぼで遊び、縄跳びで遊び、サッカーボールで遊び・・こ
っちの方が私にはコタエタ・・かな?
 
 稽古風景がないので、広島の酒の写真です。
 
 
 

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Fw: RE: 審査の感想文

しょう級しんさをうけて 9級  黒田 絢斗

合気道でしょう級しんさをうけました。始まる前、とてもどきどきしました。

ついにぼくのばんがきました。いつもよりできているのかなとおもいました。

終わって発表のとき、できているかなあと思いました。

9級になれました。とてもうれしかったです。もっと級をあげたいです。

しんさ   9級 黒田 瑛斗

ぼくは、合気道でしんさを受けて9級になりました。

しんさ中は、とてもドキドキしていて、少しまちがいがありました。

でも、しんさに合格した時は、とてもうれしかったです。

ぼくの相手は、大人で少しやりにくかったけど、うまくできたと思います。

この調子で級をあげていきたいです。

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Fw: エッセイ

I still vividly remember the very first Aikido demonstration I ever saw,
and was amazed at the things being shown. It never once crossed my mind
that I would ever be able to do anything like it. When I stepped on the
mat for the first time to give Aikido a try that evening, I remember my
body moving something akin to a robot. It was almost impossible to move
in the way I was being asked, or to get any of the techniques right,
after all, it was just supposed to be a bit of fun to kill a Friday
evening. Despite my inability to do what I was being shown, I soon
realized that I had found something that sparked my imagination and
something I wanted to keep trying.
After 4 years my practice took me to Japan, which in turn led me to my
wife, who, despite not even knowing anything about Aikido at the time
somehow led me to Nakao sensei. Over the last 19 years I have not been
able to spend anywhere near the amount of time with Nakao sensei as I
would like, nor anywhere near as much as some are able to. This just
makes every moment that I do get to spend with him quite precious. Every
time I meet Nakao sensei now, whether it is on the mat, or just sitting
on a train or in his restaurant, his genuine Aikido baka character
continues to inspire and fire that interest I first had 23 years ago.
After 23 years training, and as I approach 50, I find myself practicing
more than I have ever done before, for that I blame………and thank Nakao
sensei. His drive and passion are truly an inspiration, to just practice
Aikido as much as possible whilst continuing to have fun.
私はいまだに、初めて見た合気道の演武がいかに素晴らしく、驚いたことを目に
浮かぶように覚えています。そのときは、こんなことは絶対にできるようになら
はないだろうと思いました。初めて合気道に挑戦した夜、私はロボットのように
しか動けませんでした。やれと言われた動きや正しく技を行うのはほとんど不可
能で、合気道の稽古は、ただ金曜日の夜の時間を潰すための、ちょっと楽しいも
のと言うだけのものでした。私にはお手本の動きを真似ることも難しかったけど、
すぐに私は、合気道が私の想像力を膨らませ、今後ずっとやり続けていきたいも
のだということがわかりました。
4年の稽古のあと、私は日本に行きました。その旅は私を妻へとつなげ、その妻
は合気道のことは何も知らなかったにもかかわらず、何故だか中尾先生へとつな
がりました。以来19年以上に渡り、私は自分が望むには程遠いけれど、できる限
り中尾先生の稽古に通ってきました。そうして彼と過ごした全ての時間が私にと
っては宝物です。今でも毎回中尾先生に会うたび、それが道場でも、電車の中で
も、先生のお店の中でも、彼のほんまもんの合キチキャラが、私が23年前合気道
を初めてみたときに感じた情熱に火をつけます。23年間稽古を続けていて、もう
すぐ50歳に手が届くようになった今、今までで一番多く稽古している自分がいま
す。これは完全に中尾先生のせいですね。そしてもちろん感謝しています。彼の
情熱と行動は、合気道をできるかぎり稽古し楽しんでいくための、本物の刺激で
す。
                            参段 ブライアン

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Fw: エッセイ

Past Times
To compose any kind of essay has never been an easy task for me, so I
tried to keep following lines as simple as possible.

Apart from the practical part of Aikido, I’ve also been very passionate
and interested in its background, linked to the past and origins, which
sometimes slips beyond relevance diverting me into Japanese ancient
history connected with great generals and battles well known from
Japanese historical records like Kojiki or Nihon Shoki.
Basically, since I started Aikido in my teens I’ve always strived to do
as much research as I possibly could trying to understand relevance
between past and presence with coherence and influence of art to its
main predecessors.
Not only martial but also discovering other crucial aspects taking
important roles throughout the centuries in Japanese history provided
intellectual part of me with very interesting insight helping my growth
from different angle too.
All of these creates one part in my development on my way of AIKI which
always has been very enjoyable and exciting part for me and revealed
many interesting answers to what I love so much – “ AIKIDO “
Peter
  過去(歴史)
       弐段 ピーター ゴンバラ
どんなエッセイでも私にとってエッセイを書くことは難しいので、できるだけ簡
潔に書きたいと思います。
実践的な部分の合気道に加えて、私は合気道の背景(過去や起源)にものすごく
興味を持っています。それは合気道とは関係がないのかもしれませんが、古事記
や日本書紀に書かれているような大名や歴史的な戦いです。
私はティーンエイジャーのときに合気道を始めて以来、主なる先駆者たちがどの
ようにして過去から現在に至るまでに合気道に関わってきたかを研究してきまし
た。
武道としてだけでなく、日本の歴史を学ぶことは、興味の幅を広げ、別の角度か
らも合気道を見ることにつながっています。
こういうこと全てが私の合気の道を楽しく、情熱的にし続けてくれていて、そう
いうことが私が合気道を大好きな答えです。

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FW: essay

When I started Aikido it was to enable me to acquire a skill that I did
not possess. I had seen it performed and it seemed that if you attended
the classes you could learn “ how to do it”.
All I had to do was to learn the technique, practice it and then perfect
it. As I progressed and graded my skills improved, but I began to
realise that the more I practiced, there was even more to learn and the
perfecting of the techniques seemed ever further away and more diverse.
Other people, especially within my family noticed that as I practiced
more, my temperament had begun to change, I had started to become a lot
calmer as an individual more at peace with myself which was a godsend to
most! I began to enjoy practice more and more. My sensei encouraged my
development at every stage.
I had not thought about attaining shodan. It was something that might
happen one day, until it became apparent that it might be offered to me
at the next opportunity.
However at that point things changed for me, It became a challenge to
attain the required number of keiko and to attain the required standard
in order to grade. Attending practice after practice, watching videos of
technique, memorizing mechanical movement. It became a quiet obsession.
Enjoyment of practice gradually began to diminish and at times it became
a chore. My temperament changed back, less patient, short tempered,
people noticed. I had focus. I had to achieve my goal.
The day of the grading. I waited, was called, carried out everything
that was asked and then it was over. I had performed to the standard
required and when it was announced I was grateful and honoured to be
awarded shodan.
Inwardly however I felt that something was missing, something in me. As
I had watched others grade for nidan and sandan I began to reflect and
quickly realise what it was. I hadn’t gained a focus, Ironically I had
lost it. I had become obsessed with achieving a grade and lost focus on
what aikido had given me.
Aikido is not just a series of techniques, it is a pathway along which
you travel through practice. As you travel and practice you learn and
progress and realise that the techniques and gradings are just part of
the journey not the sheer focus. The pathway changes with time and you
change and develop with it. Once you see it as just mechanical you cant
develop and stop growing.
Yes I have achieved shodan but I have learnt so much more by attaining
it than techniques alone and hopefully my journey is just at the
beginning.
私が合気道を始めたのは、自分が持っていない技術を会得するためだった。私は
見本を見て稽古すれば、すぐに合気道ができると思っていた。
私がやるべきことは、技を学び、稽古し、それを完璧にすることだった。徐々に
上達し、昇級するにつれて、私の技術は上達した。しかし稽古すればするほどま
だまだ学ぶことがあるということに気付き始めた。技を完璧する、というのは遠
い道のりに思えた。
周りのひとたち、特に家族は私が合気道の稽古を重ねるにつれて、私の怒りっぽ
い性格が変わり始めたと気づいた。私は個人的に心が落ち着き始めた。まさに天
からの賜物だ。私は稽古がもっともっと楽しくなった。先生はどんなときも私を
励ましてくれた。
私は初段に挑戦することは考えていなかった。それは目の前に来るまでは、いつ
の日か起こることだと思っていたのだ。
しかしそれが変わり目だった。昇段できるための稽古日数に達するのが私の目標
になった。稽古に次ぐ稽古。技をビデオで確認し、動きを覚える。何かに取り憑
かれたようになった。楽しかった稽古が段々「やるべき事」に変わってきた。怒
りっぽさが戻ってきた。我慢強くなくなり、短気になり、人々はそれに気付いた。
私は集中していた。ゴールを達成しなけりゃならないのだ。
審査の日、私は呼ばれるのを待った。言われた全てのことをやりきり、そしてそ
れは終わった。私は初段に必要なことをやることができ、そして私はありがたい
ことに初段を頂いた。
しかしながら、私は自分の中で何かを失ったような気がしていた。弐段や参段の
審査を見ていたとき、それがすぐに何かがわかった。私は集中して何かを得たわ
けではなかったのだ。逆に失っていたのだ。私は初段を得ることにこだわるがた
めに、合気道が私に与えてくれたものを忘れていたのだ。
合気道は技を学ぶだけのものではない。稽古を通して歩んでいくものだ。学びの
道を歩んでいくときに、技や段はただの旅の一部であり、フォーカスを当てるも
のではない。進む道は時の経過と共に変わり、あなたも発達と共に変化する。一
度それがわかると、上達することはとまらない。
はい。今回初段を頂いた。でも私は今後技だけに留まらず、学ぶことが山積みだ。
そう、私はこれが旅の始まりだと思っている。
                   初段 マーク ランドンジョーンズ

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Fw: エッセイ

This year I continued my journey into Aikido with two notable events.
The first being our trip to Kobe where we were lucky enough to train for
a full week with Nakao Senseis instruction and some wonderful Aikidoka.
In truth I would struggle to pick out more than a few distinct
techniques that we learned specifically on the trip however I (along
with most of the group) felt that my Aikido (posture, form etc)
certainly improved.
This related directly to the second event, that being Nakao Senseis
visit to the uk along with the club gradings.
This normally taking place later in the year caused a little concern
amongst some as it was to be several months early and there was worry
over attendance and practice time.
This turned out to be an unnecessary concern and the gradings went ahead
with good results.
Unfortunately I missed this due to inescapable work commitments however
I was allowed to grade the next day at the seminar.
This felt like more of a challenge in some respects as I would be taking
my grading not only in front of members of our club but also others from
elsewhere in the uk.
It was, however, an enjoyable experience (last minute injury not
withstanding) and I am grateful that I got the chance to go ahead.
I feel I have developed both my self as a martial artist and my
understanding of aikido over the last 18 months – I look forward to
continuing my journey.
T

今年は私の合気道の旅の中で、2つの大きなイベントがありました。
一つ目は、神戸で中尾先生の指導の下、素晴らしい合気道家たちと幸運にも1週
間も稽古を共にすることができたことです。正直、いくつかの技はかなり難しか
ったけれど、この1週間で姿勢や動きなどが上達したと思います。
そして2つ目はこれに引き続いての中尾先生のイギリス訪問と審査です。例年な
らもう少し後に起こることが、今年は数ヶ月早まるということで、稽古日数や技
術などの面で心配でした。これは結果からみれば、必要のない心配だったと思い
ます。残念なことに私は審査当日は仕事で参加できませんでしたが、翌日のセミ
ナーで審査してもらえることになりました。
道場のメンバーの前だけでなく、イギリス中からセミナーに参加した人たち全員
の前で審査を受けることは、私にとってはかなり挑戦的なことでした。
大変だったけど、しかしながら、楽しい経験でした。(セミナー終了間際で怪我
をしてしまったけれど)最後にこうして審査を受けさせてもらえたのはありがた
いことでした。この18ヶ月で、自分自身、そして武道家として、合気道をもっと
理解できるようになったと思います。今後も合気道の道を歩んでいくのが楽しみ
です。

                           3級 トニー

This idea of writing an essay after the grading is new for me and I do
not know what to write. So I have decided to write how I had discovered
aikido for myself.
When I was twelve years old and started my last year at the primary
school, we had a new after school club called “the self-defence”. I
joined it and to my great surprise I enjoyed it immensely. After
finishing the last year I went to a different school and the club became
just a distant memory. After starting my university studies I found out
that the head teacher of the PT department at the University was exactly
the same teacher that had run the club six years ago. I also found out
that he did aikido. Unfortunately, I was not able to take part in his
aikido club at that time. However, when I moved to Prague after
finishing the University I decided to have a go and try aikido – and
that is how I started. Since then aikido has become a part of my life.
Once I stopped training for about a year but I missed it so much I had
to start again.
For this reason I started to look for an aikido club as soon as I moved
to Milton Keynes. And I am very happy and grateful that I have found
such a wonderful club with so many marvellous people. Thank you all for
accepting me.                             
    
審査後のエッセイを書くのは初めてで、何を書けばいいのかわからないので、な
ぜ私が合気道を始めたかを書きたいと思います。
私が12歳、小学校の最終学年のとき、新しい放課後のクラブ「セルフディフェン
ス(自己防衛)」が始まりました。私はそのクラブに入部し、自分でも驚いたこ
とに、それをとても楽しみました。その年が終了し、違う学校に通ってからは、
そのクラブは遠い思い出となりました。大学に通い始めてから、大学の体育の責
任者が、6年前にそのクラブを担当していた同じ先生だと知りました。そのとき、
その先生が合気道をされていたことも知りました。残念ながらそのときは、その
先生から合気道を学ぶことはできませんでしたが、大学卒業後プラハに引っ越し
た後、私は合気道をやってみることにしました。それが私が合気道を始めたきっ
かけです。以来合気道は私の人生の一部分になりました。一度およそ一年くらい
稽古を中断しましたが、やっていない間もものすごくやりたくて、また再び始め
ました。
ミルトンキーンズに引っ越してからもすぐに合気道クラブを探し始めました。そ
してこの素晴らしいクラブを見つけて、たくさんの素晴らしい人たちととても楽
しく感謝しながら稽古をしています。私を受け入れてくださって、ありがとうご
ざいます。
                            2級 ミラ
                            
                            
                            
The path of the righteous man is beset on all sides by the inequities of
the selfish and the tyranny of evil men.
Blessed is he who, in the name of charity and good will, shepherds the
weak through the valley of darkness, for he is truly his brother’s
keeper and the finder of lost children.
And I will strike down upon thee with great vengeance and furious anger
those who attempt to poison and destroy my brothers.
And you will know I am the Lord when I lay my vengeance upon you.
これはジョーが書いたポエム(詩)です。日本語に直訳すると意味が全くわから
なくなるので、意味だけ説明します。                   
          心根が正直な善人が、自分勝手な悪人に四方八方を取り囲
まれて闘っています。善人は弟たちや弱い立場のひとたちを守る役目をしていま
す。戦いは続くけれども、人々は常に善人が上位にいることがわかっている。 
                            という意味の詩で
す。

                           2級 ジョー

                            

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