そう。合気道は無理」、とある。
1時間ほど、とりとめのない、いつもの調子で話しが弾んだ。その後2度ほどお
電話があった・・。「お元気ですか?」「まぁ・・な。ぼちぼちとな。」といつ
もの会話。
が‥12/1 奥さんからの欠礼葉書で、びっくり。
49年前、通っていた道場が大阪に引っ越して、私達は西代にあったスポーツ会
館で、数人でホソボソと稽古を重ねていた。が、それも難しくなり、皆で精武館
に入門。
入門マもなく・・にやにや ニコニコと小柄な人が、寄って来て、片足になっ
て対処する。筋肉自慢の私は頑張るのだが、片足立ちの濱崎さんに、全く通じな
い。こんな合気道があるんや! 浜崎さんとの出会いだ。
震災後、精武館の名前を一新するつもりで濱崎さんに相談した。「そりゃ・・
精武館の名前をそのまま生かすのがええやろな。」「ほなら、ひらがなでもよろ
しいか?」
この年末、遠藤先生の稽古が中止になり、濱崎さんの悲報。落ち込んでい
る。せいぶ館が変わらざるを得ない状況になってしまった・・。
浜崎さん、稽古は週に一度のみ、時々用事もあるから月に3度ほどの稽古で7
0年、理想的な「趣味」としての付き合い方だ。20年ほど前に行った上海の道
場では、毎日稽古があったので‥浜崎さんは、生涯で、この時が一番稽古をした
のではなかろうか? (この時の写真を道場に飾った。ええ顔!)
日曜日の稽古後は毎回、食事へ行くのが習わしだった。歩くのが早い、階段は
2段飛び。若い人達のだらだら歩きは眼中にない・・。食べながら、稽古の話し、
家の話し、魚の話し、若い時の話し・・色んな事をしゃべり聞き・・いつまでも
飽きずに時間が経過した。本部の行事での行き帰り、新幹線の車内でも延々と、
話し 聞き‥二人ともアルコールでええ気持ちになっているのに、しゃべり・聞
き・・あっというマに神戸・・。
精武館黎明期の話し・・。石川島播磨の岡田さん、慶応大の古市さん、大平総
理大臣の息子さん、全日本学生合気道連盟を作った若林さん・・多くの、素晴ら
しい、実績のある、せいぶ館の諸先輩方の話を聞かせてくれたり、紹介してくれ
たのも濱崎さんだった。
4月の濱崎さんはお元気で‥稽古に復帰する気配はなかったものの、いつも通
りだった。88歳というのはまぁ・・一般的に言えば年寄りやから・・寿命かもし
れないけれど‥。文字通り・・ピンピンコロリ・・やったんかな? それやった
ら・・名人・達人の往き方ではあるのだが‥寂しいなぁ‥。