合気道 神戸せいぶ館|合気会|笑顔があふれる楽しい道場

Fw: 濱崎さん追悼文をお送りしますtan

『濱崎さん追悼文 「憧れのじいさん」 tan

 濱崎さんは私にとって最高の敬意を込めて「憧れのじいさん」でした。
 私が初めて濱崎さんとお会いしたのは、2003年に、それ以前は大阪合気会で稽古させていただいていたのが、転勤で通えなくなり、せいぶ館に入会させていただいて1年ぐらい経った頃だったように思います。たしか、日曜日前半の中尾さんの稽古で、技は座技呼吸法。稽古相手を探していて、「ちっちゃなお爺さんがいるな」と思って、稽古をお願いしたところ、そのちっちゃなお爺さんにぶっ飛ばされて、「なんやこのすごい爺さんは!」と驚愕したことを覚えています。当時、私は濱崎さんのことも、道場長であることも存じ上げていないふつつか者でした(現在も、ふつつか者ですが…)。
 日曜の後半のクラスを担当されておられて、小さな体で、ご年齢も感じさせず、軽やかに動きまわられるスタイルで、私はひそかに、弁慶と牛若丸(源義経)の牛若丸にちなんで「牛じじ丸」とお呼びしておりました。特に投げ技が印象的で、入り身投げなどは、受けると畳に「ぐしゃっと」潰される感じで、濱崎さんも「わしの(投げ技)は潰し技や」とおっしゃっていたことが特に記憶に残っています。
 ある日、直会で隣の席でお話しさせていただいたときに唐突に「あんた(トイレ後に)、ケツ左手でふけるか?」とおっしゃられ、良く伺うと、武道では利き腕(右手)でない方の腕の扱いが大切で、それには左手をうまく使えるよう工夫することだという教えでした。それ以来、食事の時に使う箸を持つ手を、左手に替えて20年近くになります。このことが、私の合気道の技量にどの程度、好影響を与えたかは良く分かりませんが、私のもう一つの趣味の大道芸には大いに役に立っております。
 お聞きしたところによると、濱崎さんは、検査入院されていた後、退院され、介護を受けることもなく亡くなられたとのこと。お亡くなりになられたことは、本当に悲しく、寂しいことではありますが、世の高齢者がそうありたいと願うピンピンコロリ(PPK)で旅立たれたことは、ある意味大往生であり、そんなところも濱崎さんらしいと感じております。
 せいぶ館には、濱崎さんと同様に尊敬すべき憧れのじいさんがたくさんおられます。初老と呼ばれる年齢にかかる私も、そのせいぶ館の憧れのじいさんの系譜につながれるよう、これからも稽古をさせていただければと思います。
 濱崎さん ありがとうございました。これからも遠くから後輩たちの稽古を見守ってください。』

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