追悼文
この度は浜崎先生のご逝去に接し、心よりご冥福をお祈りいたします。
私は、せいぶ館の諸先輩方ほどに、浜崎先生に直接ご指導をいただくことが多くはありませんでした。 それと言いますのも、先生が日曜日午前の11時からの枠で稽古をつけられた時期に入門したのですが、その前の枠の稽古で体力・気力を使い果たしてしまい、浜崎先生の稽古を失礼してかえってしまうということが往々にあったからです。 今から思い返すと、本当に失礼かつもったいのないことをしたと悔やまれます。 それでも、何とか浜崎先生の稽古を受けることができたときには、合気道がもつ不思議な力を感じさせていただくことができ、これが引いては生来怠け者の私が、これまで合気道を続けることができた原動力の一つでありました。 先生に手を取られて、ニヤッと笑いかけられた瞬間に蛇ににらまれた蛙になってしまい、指一本で背中をかるく触れられているだけで動けなくなったりといった体験は、私の合気道のかけがえのない原体験の一つとして常に残っていくことかと思います。 ありがとうございました。 合掌。
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この度は浜崎先生のご逝去に接し、心よりご冥福をお祈りいたします。
私は、せいぶ館の諸先輩方ほどに、浜崎先生に直接ご指導をいただくことが多くはありませんでした。 それと言いますのも、先生が日曜日午前の11時からの枠で稽古をつけられた時期に入門したのですが、その前の枠の稽古で体力・気力を使い果たしてしまい、浜崎先生の稽古を失礼してかえってしまうということが往々にあったからです。 今から思い返すと、本当に失礼かつもったいのないことをしたと悔やまれます。 それでも、何とか浜崎先生の稽古を受けることができたときには、合気道がもつ不思議な力を感じさせていただくことができ、これが引いては生来怠け者の私が、これまで合気道を続けることができた原動力の一つでありました。 先生に手を取られて、ニヤッと笑いかけられた瞬間に蛇ににらまれた蛙になってしまい、指一本で背中をかるく触れられているだけで動けなくなったりといった体験は、私の合気道のかけがえのない原体験の一つとして常に残っていくことかと思います。 ありがとうございました。 合掌。
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