合気道 神戸せいぶ館|合気会|笑顔があふれる楽しい道場

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濱崎先生追悼文

 合気道を始めて何年かして、5級、4級の審査を受けるためせいぶ館に通いました。
せいぶ館の稽古はテンポが早すぎてついていけず、技もよくわからないのでちんぷんかんぷんで戸惑っていた時、よく濱崎先生に指導していただきました。
ゆっくり、丁寧に、何回同じことを聞いても嫌がらず教えてくださったのですが、濱崎先生が
おっしゃった通りに動いたつもりなのに、ずっと「違う」と言われ、「何が違うねん」と
心の中で思っていたことを思い出します。
当時はよくわからなかったけれども、今思えばあれは達人の動きだから、私なんかに同じ動きができるわけがないということがよくわかります。
手を握ったと思ったら、なんでやっという間に気持ちよく転がされ、痛みや恐怖を感じさせず、合気道って楽しいんだなと思わせてくださるかたでした。
気さくで、いつもニコニコしていて、笑顔ばかりが思い浮かびます。
 濱崎先生、たくさんの楽しい思い出をありがとうございます。

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nag

  20年前から週一日だけですがせいぶ館で稽古をさせていただいてきました。
日曜稽古には数えるほどしか参加できず、濱崎さんに稽古をつけていただいたのはほんのわずかです。
でも、直会や懇親会でお話しさせていただいたことが思い出されます。親の介護を愚痴ったときには
ご自分のご兄弟の介護のお話しで励ましてくださいました。
せいぶ館は一人ひとりをかけがえのない仲間として大切にしてくださる道場です。
そして、その所以を考えたとき、「道はいつでも何事も為さないようでいて、しかもすべてのことを
為しています」という昔の中国のことばが思い浮かびました。
濱崎さんと最初お会いしたとき、「やさしいおじいさんだな・・・」という印象で、道場長という
イメージはまったくなかったのですが、今思うに濱崎さんはせいぶ館の「道」だったんだと確信しています。
ぼくにとって濱崎さんはせいぶ館を黙ってニコニコ支えてくださっていた「道」そのものでした。
 心よりご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。

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Fw: 濱崎先生 追悼hat

私が18歳の時にせいぶ館に初めて稽古に参加したとき、麦わら帽子をかぶって現れた方が道場長である濱崎先生であると分かったのはしばらく経ってからでした。
 当時大学の合気道部一年生で体力には自信があった私は、せいぶ館の方々の稽古についていけずにおりました。やっとの思いで稽古を終え更衣室で着替えているところに濱崎先生が来られ「続けな分らんよ。」と一言おっしゃいました。私がよっぽど自信が無さそうに見えたのか、お声がけ頂きました。これまでせいぶ館で稽古を楽しく続けることに、その濱崎先生の一言が後押ししてくれたと思っております。またその後も道場でご指導いただき、未だに先生の手首をもった感覚、その時の感動が思い出されます。
 先生がせいぶ館の黎明期から今日まで築いてこられたことを、少しでも受け継ぎ私自身もこれからも一生懸命稽古したいと思っております。
 濱崎先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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Fw: 濱崎さん、ありがとうございました。aki

 「真赤なお鼻のトナカイさんは、、、」
 浜崎さんといえば、日本酒が大好きで、美味しい物、特に魚が好きという印象
でした。網元の息子さん故、魚の種類をよく知っておられました。灘屋に来られ
て、酒と魚がピッタリはまると、本当に幸せそうでした。
 
 普通なら、年齢とともに体重が増えてくる頃、浜崎さんは スマートになって
いかれました。節制されてる感じもなく、ただ「お酒はここ迄、へへ嫁さんに止
められてるんや」と、ニコニコ。
 
 一度だけ よく皆で行った中華料理の香美園に、二人でランチに行きました。
その店はランチメニューというのがなくて、しかも一人前の量が多いいのです。
せいぜい、弐人前を分けて食べようと、、。ところが、濱崎さんは中華も大好き
で、三品、四品と、若い! 私を置いて、健啖家ぶりを発揮!
 「旨い!食べてみ。あっこさん」「もう充分食べて飲んだで。帰ろか」
 長い事、お世話になり、本当にありがとうございました。  合掌

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Fw: 濱崎先生追悼文sae

濱崎先生の訃報を聞いたときは大変ショックでした。体調がすぐれないとお聞きしてましたが、現実となると受け入れがたいものがあります。
また、先般の追悼演武会には数か月前から入れていた所用で参加できず非常に残念でした。
約40年前に20代半ばで私が旧精武館に入会した当時は剛腕の先輩が多くゴリゴリの稽古をしてましたが、先生はそんな先輩方をスパスパと投げておられました。先輩方にぼろ雑巾のように投げられるので若手が少なく、またお互い県庁の中で働いていたこともあり当初から可愛がっていただきました。
注意され、叱られたりしながらも年数を重ねるにつれ、いつしか濱崎先生の日曜日の稽古、審査後の演武、演武会などで受けに呼ばれるのが定番となりました。にたっと笑って「行こか」と言われるのがお決まりでした。
傍目には派手な動きはないが、実際に受けを取るとまともに効く技でした。座技呼吸法もよく教えていただきました。いくら倒れまいとしても「ほれ」と言って崩されました。
日曜日の稽古帰りはいつも明石駅までご一緒しました。私が朝霧駅近くに住んでた頃は、明石までは新快速があるのに、わざわざ普通電車に乗ってご一緒していただいた記憶があります。電車内でも技や稽古に対する考えについて話されてました。
これを書きながら涙があふれてきました。本当に可愛がっていただいたなと思います。
もはや濱崎先生の受けを取ることはありませんが、手を取ったり崩されたりという感覚、身体に叩き込まれたものは多くあります。
これからはそれらを元に自らを磨いていくことで濱崎先生に喜んでいただけると思っています。
本当にありがとうございました。
安らかにお眠りください。

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Fw: 濱崎前道場長追悼文mat

12月1日の昼休み、携帯に入っていたその報せに茫然となりました。
少し前に合気道はできないけど元気だと聞いていたのに、突然のお別れになるとは・・・
ぽっかりと穴が開いたように寂しい限りです。

平成18年12月の演武会。
その年の3月3日に入会したものの、金曜日の夜の初心者クラスだけ月3回くらい
通っていた私は初めての日曜日の参加。無級だったので受け身だけの演武だったの
だけど、投げた相手が容赦なく投げたため、頭を打つというみっともない演武。
その後の直会で濱崎先生に言われたのが「君、受け身下手やなあ」。
これが濱崎先生との初対面であり、真っ先に出てきた一番の思い出です。
凄く凹みましたし、もう少ししっかり稽古しないとなあと感じたことを覚えています。

長い間、日曜日の2コマ目が濱崎先生の時間でした。
技に苦慮していると、スッと「何しとん?」と聞いてきて、手を取らせてスイっと技を
かけて「わかったか?こうするんやで」と教えてくれたことも多々ありました。
濱崎先生の技はしっかり持たせてくれることがあまりなく、誘い込まれるように技を
かけられたり、しっかり持った時でも手応えのない柔らかい感覚のまま技をかけられると
凄く奥深かったです。それも年々進化していたと思います。
不器用なりに少しでも濱崎先生の動きを習得したいなあと思っていましたが、それも
叶わぬものとなってしまい、とても悔しい思いです。

せいぶ館ホームページを見返してみれば、写真に写る濱崎先生はいつも笑ってました。
本当に笑った顔ばかりでした。

心より濱崎先生のご冥福をお祈り申し上げます。

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Fw: 濱崎先生追悼文、hir

寂しいです。ぽっかり穴が空いてしまった感じです。
日曜稽古後半の前に来られて、上り口で靴を脱ぎながら
道場内をゆっくりと一度見回してから入られるお姿、
近づいてご挨拶するとニコッとされ、何かお話しなさる
ときにニヤリとされるお顔が思い出されます。
次にお会いするときはご挨拶して、何か一言お話ししよ
う思いながら今になってしまいました。

稽古では、数少なかったですが手を取らせていただいた
ことがありました。そんなゆるい稽古をしていたら駄目だよ
というかのように重みのある投げを頂きました。かなり手加減
していただいたはずですが、強烈な重力でした。懐かしいです。

濱崎先生、素敵な笑顔のお写真(上海にて)が道場に掛けられる
とお聞きしましたよ。道場内をゆっくり見回すことができると
思いますので、後輩達を見守って下さいますようお願いしても
よろしいでしょうか。

濱崎先生のご冥福を心からお祈りいたします。
ご家族様におかれましては、どうぞご自愛下さいませ。

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Fw: 濱崎先生 追悼文 oon

ちょうど私が横浜に単身赴任が決まった際、濱崎先生から「横浜のIHI(石川島播磨重工)に合気道部があるよ。」と教えていただきました。そして現地に移りたまたま行った道場が、IHI合気道部とも親交があると言うことで、稽古に行かせていただくことになりました。
そこでTさんというIHI合気道部OBの方が指導されていたのですが、色々と話していて濱崎先生にこちらに来ることを勧められたと話したところ、「私は相生にいた時に合気道を始め、濱崎さんに合気道を指導いただいていたんですよ。」と教えていただきました。そして、「こうやって同じ先生に教えていただいたもの同士が、遠く離れた地で出会うのも縁ですね。」と言っていただきました。神戸に戻った際に濱崎先生にTさんのことを話すと、「あの頃は、まだ合気道の形がはっきりしていない時代だったな。」とおっしゃっていました。濱崎先生は長く合気道を続けられ、技だけでは無く縁も広げてこられたのだと感じ、自分も拙い稽古を続けながらも先生を見習い縁を広げていけたらと考えています。

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Fw:yan:濱崎先生 追悼文

 濱崎先生が旅立たれたと伺い、突然のお別れにまだ受け入れがたいものがあります。

 濱崎先生は、初めてお会いしたときから気さくで温かく、一度先生につかせていただくと、技が変わっても途切れることなく 連続して相手をしてくださり、ご指導くださいました。
 小柄なお身体からは想像できないほど、どんな相手でもビシバシと投げられるその姿は圧巻でした。その姿を目の前で見て、
「開祖も濱崎先生のような雰囲気をまとっておられたのだろうか」
と、ふと思ったことがあります。

とりわけ印象に残っているのは、体の転換について教えていただいたときのお言葉です。
「指の向きが大事だ。指先から氣が出ている。転換したい方向に指先が向いていないといけない。」
 意識の流れ、氣の方向、指先のわずかな向きが技に影響を与えることを教えていただきました。

また、今せいぶ館に掲げている私の名札は濱崎先生が書いてくださったものです。
当たり前に目にしていた名札が、これからは先生の存在を思い出させてくれる形見となりました。きっとこれから名札を見るたびに濱崎先生のことを思い出すと思います。

 コロナ以降に一度だけ濱崎先生の稽古があり、参加できたことが今思えば本当にありがたい時でした。
 濱崎先生、本当にありがとうございました。
心より、先生のご冥福をお祈り申し上げます。

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濱崎さん

浜崎さんです。

せいぶ館の正面、翁先生のお写真の横に「合気道」の書、何年か前に濱崎さん
が書いたものをそのまま貼り付けています。号は「松濤」。

昨日、追悼演武会の最中に、新井さんから「お花が」届きました。文字通り花
を添えてくれました。ありがたい事です。精武館第二道場からの会員で、今も
時々ビジターで来ています。

前日に‥ええ 笑顔の写真を見つけました。20年ほど前に上海に稽古に行った
時に、博物館で撮ったものです。

濱崎先生 scaled
お花 scaled
濱崎先生とお花 1 scaled
濱崎先生とお花 2 scaled

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