合気道 神戸せいぶ館|合気会|笑顔があふれる楽しい道場

公式連絡

Fw: 追悼文 sin

浜崎先生のご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。

浜崎先生は精武館に入会したときから雲の上の存在で、にこにこされながらも技の厳しいご指導と審査時などのコメントが印象に残っております。
時を同じくして、50年近くにわたり来神されていた遠藤師範のご指導が中止になりました。
お二方の存在がなくなったことで、精武館道場が一段と遠くなった感覚があります。

遠藤師範を追いかけていたことから、違う方向を向いていた私に対しても、温かく見守っていただきました。
今までご指導やご助言など、たくさんのお言葉をいただき、ありがとうございました。

今後もダメ出ししながら、温かく会員のみなさんを見守っていただけたらと思います。
ご冥福をお祈り申し上げます。

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Fw: 浜崎先生の追悼文です

浜崎先生の思い出 yam

先生の職場の関係で、道場でお顔を見る様になったのは私が稽古を始めてしばらくしてからでした。ただ、このしばらくの期間が有ったのが残念だったなと後々になって思いました

稽古では指先を揃えて伸ばされてましたね
体の転換を受けたら少し前の方に崩されたか全然動けませんでした。強烈に残ってます。
入身投げではこの方向に導くと見せては貰ったんですが、崩され、導かれ、ついていくのに必死でした。
先生は歩くのが速く、いつの間にか遥か先を歩かれてました
この脚力が技の切れに繋がっているのかと納得です

もっともっと投げて貰いたかったです
合掌

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Fw: 濱崎さん追悼作文sim

濱崎さん、ありがとうございました

31年前、私が19歳だった頃のことです。精武館第二道場の夕方のクラスで、稽古
の終わり際になると、背広姿の濱崎さんが、いつの間にか道場の入り口に立って
おられることがよくありました。そして気がつけば、教えることが大好きな濱崎
さんらしく、自然とアドバイスが始まっていました。稽古が終わった後も、背広
のままでご指導くださいました。
「もっと手を伸ばして……」「腕はこうは動くけど、こうは動かんやろ……」
今思えば、合気道の基礎となる大切な部分は、この頃にしっかりと叩き込まれた
のだと思います。「誰も濱崎さんの技を受け継いでいない」と言わていますが、
形は違えど、その教えは確かに私の身体にしみ込んでいます。
震災後、現在のせいぶ館となり、ここで正式に濱崎さんのご指導を受ける機会が
できました。前に立って示される技は、道場が狭く感じるほどよく動かれ、演武
の際にはいつも杖を手にされ、その動きもまた非常にダイナミックでした。私が
初めてお会いした50代後半の頃から、コロナ前の80代に至るまで、その動きが衰
えることは一度もありませんでした。
昇級・昇段審査の講評はいつも辛口で、見本の技を御自身で示しながら説明され
ていました。もちろん私もその辛口指導を受け、あまり褒められた記憶はありま
せんが、たまに褒めていただけたときは、嬉しかったことを覚えています。
濱崎さんは気さくなお人柄で、私だけでなく、せいぶ館のメンバーみんなから愛
されていました。
最後に、濱崎さんのご冥福をお祈りするとともに、これまでご指導いただいたこ
と、そして気さくにお話しくださった数々の時間に、心より感謝申し上げます。

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Fw: あぁぁ・‥浜崎さん。nak

私のメモに「4/14 浜崎さん 紺田君(歯医者)の帰りに寄ってくれる。元気
そう。合気道は無理」、とある。
1時間ほど、とりとめのない、いつもの調子で話しが弾んだ。その後2度ほどお
電話があった・・。「お元気ですか?」「まぁ・・な。ぼちぼちとな。」といつ
もの会話。
が‥12/1 奥さんからの欠礼葉書で、びっくり。

49年前、通っていた道場が大阪に引っ越して、私達は西代にあったスポーツ会
館で、数人でホソボソと稽古を重ねていた。が、それも難しくなり、皆で精武館
に入門。
入門マもなく・・にやにや ニコニコと小柄な人が、寄って来て、片足になっ
て対処する。筋肉自慢の私は頑張るのだが、片足立ちの濱崎さんに、全く通じな
い。こんな合気道があるんや! 浜崎さんとの出会いだ。

 震災後、精武館の名前を一新するつもりで濱崎さんに相談した。「そりゃ・・
精武館の名前をそのまま生かすのがええやろな。」「ほなら、ひらがなでもよろ
しいか?」

 この年末、遠藤先生の稽古が中止になり、濱崎さんの悲報。落ち込んでい
る。せいぶ館が変わらざるを得ない状況になってしまった・・。

 浜崎さん、稽古は週に一度のみ、時々用事もあるから月に3度ほどの稽古で7
0年、理想的な「趣味」としての付き合い方だ。20年ほど前に行った上海の道
場では、毎日稽古があったので‥浜崎さんは、生涯で、この時が一番稽古をした
のではなかろうか? (この時の写真を道場に飾った。ええ顔!)

 日曜日の稽古後は毎回、食事へ行くのが習わしだった。歩くのが早い、階段は
2段飛び。若い人達のだらだら歩きは眼中にない・・。食べながら、稽古の話し、
家の話し、魚の話し、若い時の話し・・色んな事をしゃべり聞き・・いつまでも
飽きずに時間が経過した。本部の行事での行き帰り、新幹線の車内でも延々と、
話し 聞き‥二人ともアルコールでええ気持ちになっているのに、しゃべり・聞
き・・あっというマに神戸・・。

 精武館黎明期の話し・・。石川島播磨の岡田さん、慶応大の古市さん、大平総
理大臣の息子さん、全日本学生合気道連盟を作った若林さん・・多くの、素晴ら
しい、実績のある、せいぶ館の諸先輩方の話を聞かせてくれたり、紹介してくれ
たのも濱崎さんだった。

 4月の濱崎さんはお元気で‥稽古に復帰する気配はなかったものの、いつも通
りだった。88歳というのはまぁ・・一般的に言えば年寄りやから・・寿命かもし
れないけれど‥。文字通り・・ピンピンコロリ・・やったんかな? それやった
ら・・名人・達人の往き方ではあるのだが‥寂しいなぁ‥。

   

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Fw: 濱崎先生への追悼文になります。yam

濱崎先生追悼文

せいぶ館には私が目標とし、尊敬する先生方、先輩方がたくさんおられます。言わずもがな濱崎先生もそのような先生の一人でした。
日曜日の稽古でご指導いただき、技をかけていただいた時のあの感覚は忘れられません。目で見た時の濱崎先生の技は無駄なく基本に忠実、されど触れると深く重く、自分の理解の範疇を越えるものでした。達人の技はこうもすごいのかと感動しました。
稽古以外での立ち振る舞いも素晴らしく、私のような者にも優しく真摯に接していただきました。元気なお姿が今でも思い出されます。
濱崎先生とのお別れは大変残念でなりません。心よりご冥福をお祈りいたします。

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Fw: 濱崎先生追悼文 ets

濱崎先生ありがとうございました。そしてご冥福をお祈りいたします。

私は別の道場で2年間稽古をした後、せいぶ館に来ました。
アットホームな雰囲気の道場で、濱崎先生のニコニコした笑顔に迎えられ、安心して稽古をすることができました。
また、お住まいが明石、私は垂水だったので帰りの電車もよくご一緒しました。

そして、先生は合気道に対して確固たる信念をお持ちで、揺らぐことなく技を掛けたり、説明をされていたと思います。ニコニコの笑顔とは裏腹に厳しい投げをされ、若き日の私は必死の思いで受けをとっていました。特に入身投げ!!!

また、何年か前に五段を頂いた時には「仕事をしながら、そして子育てをしながら、よく頑張って続けましたね〜」の一文を頂き、中途半端に思えた私の人生を肯定して頂いた気がして、ずっと感謝しています。

いつまでも濱崎先生の笑顔を忘れません。どうぞ安らかに、、。

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Fw: 濱崎先生追悼文 tun

濱崎先生へ

今日道場に行ったら濱崎先生の写真とお花がありました。
一瞬、あの懐かしい声が聞こえたような気がしましたよ。

日曜日の2コマ目、必死で稽古をしているといつのまにか先生が横にいて「何しとん? ちゃう! そやない!」とよく指導していただきました。

我が家と濱崎先生の特別なエピソードがあります。

先生が若い頃、通われたダンスホールに同じ時期、偶然にも私の母親が通っていたのです。
二人が一緒に踊ったかはわかりませんが。

先生の軽やかな足さばきは社交ダンスの名手だったからなんですね。「シャッセの足とおんなじやで」と言いながら、飛ぶように動いていた姿は目に焼きついています。

濱崎先生、私、これからも稽古を続けますね。で、次、会ったら柔道を教えてください。よろしくお願いします。

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Fw: 濱崎先生追悼文 mat

濱崎先生追悼文

 合気道を始めて何年かして、5級、4級の審査を受けるためせいぶ館に通いました。
せいぶ館の稽古はテンポが早すぎてついていけず、技もよくわからないのでちんぷんかんぷんで戸惑っていた時、よく濱崎先生に指導していただきました。
ゆっくり、丁寧に、何回同じことを聞いても嫌がらず教えてくださったのですが、濱崎先生が
おっしゃった通りに動いたつもりなのに、ずっと「違う」と言われ、「何が違うねん」と
心の中で思っていたことを思い出します。
当時はよくわからなかったけれども、今思えばあれは達人の動きだから、私なんかに同じ動きができるわけがないということがよくわかります。
手を握ったと思ったら、なんでやっという間に気持ちよく転がされ、痛みや恐怖を感じさせず、合気道って楽しいんだなと思わせてくださるかたでした。
気さくで、いつもニコニコしていて、笑顔ばかりが思い浮かびます。
 濱崎先生、たくさんの楽しい思い出をありがとうございます。

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nag

  20年前から週一日だけですがせいぶ館で稽古をさせていただいてきました。
日曜稽古には数えるほどしか参加できず、濱崎さんに稽古をつけていただいたのはほんのわずかです。
でも、直会や懇親会でお話しさせていただいたことが思い出されます。親の介護を愚痴ったときには
ご自分のご兄弟の介護のお話しで励ましてくださいました。
せいぶ館は一人ひとりをかけがえのない仲間として大切にしてくださる道場です。
そして、その所以を考えたとき、「道はいつでも何事も為さないようでいて、しかもすべてのことを
為しています」という昔の中国のことばが思い浮かびました。
濱崎さんと最初お会いしたとき、「やさしいおじいさんだな・・・」という印象で、道場長という
イメージはまったくなかったのですが、今思うに濱崎さんはせいぶ館の「道」だったんだと確信しています。
ぼくにとって濱崎さんはせいぶ館を黙ってニコニコ支えてくださっていた「道」そのものでした。
 心よりご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。

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Fw: 濱崎先生 追悼hat

私が18歳の時にせいぶ館に初めて稽古に参加したとき、麦わら帽子をかぶって現れた方が道場長である濱崎先生であると分かったのはしばらく経ってからでした。
 当時大学の合気道部一年生で体力には自信があった私は、せいぶ館の方々の稽古についていけずにおりました。やっとの思いで稽古を終え更衣室で着替えているところに濱崎先生が来られ「続けな分らんよ。」と一言おっしゃいました。私がよっぽど自信が無さそうに見えたのか、お声がけ頂きました。これまでせいぶ館で稽古を楽しく続けることに、その濱崎先生の一言が後押ししてくれたと思っております。またその後も道場でご指導いただき、未だに先生の手首をもった感覚、その時の感動が思い出されます。
 先生がせいぶ館の黎明期から今日まで築いてこられたことを、少しでも受け継ぎ私自身もこれからも一生懸命稽古したいと思っております。
 濱崎先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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