Fw: Re: 濱崎さん追悼文
先生はいつもニコニコと指導されていたように記憶します。
技の厳しさの中にもユーモアがあり、楽しく稽古させていただきました。
心から感謝を込めて、先生のご冥福をお祈りいたします。
先生からいただいた教えを胸に、これからも稽古を続けたいと思います。
先生の笑顔を忘れません。ありがとうございました。
sug
sug
出来が悪い教え子だったため、濱崎先生にはよく叱られた覚えがあります。
技ももちろんですが、特に審査の時、審査を受ける方の受けをとった時は、審査後の直会で「勝手に飛ぶな」とよく叱られました。
なぜ「怒る」という言葉ではなく、「叱る」という表現になるのか。
濱崎先生をご存じの方なら、皆さんご理解されてると思います。
言葉の意味を調べると、感情をぶつけるのが「怒る」、相手を良い方向に導くのが「叱る」とあります。
濱崎先生は、その言葉通り、道場の皆さんを導くために、叱ってくださる人でした。
もう二度と叱っていただけない、こんなに寂しいことはありません。
心からの御冥福をお祈りします。
私はせいぶ館に入会して大体20年弱になりますが、残念なことに段をいただいた
あたりから日曜日の稽古に出ることが難しくなったため、年期の割には浜崎先生
に直接稽古をつけてもらった経験があまりありません。なので先日の会の時に浜
崎先生に稽古をつけてもらった話を聞いて、大変羨ましく、またもったいないこ
とをしたと感じました。私にとっては浜崎先生の思い出で一番印象に残っている
ことは審査の時に毎回のように「手から気が出ていない」など厳しい講評をいた
だいたことです。でも次の審査の時には少しでも良い評価をしてもらいたいと思
って頑張ったことが、合気道を続けていくことの励みになっていたのだと思いま
す。それと、直会の時に「私の会員証はこんなになっているんやで」と屏風のよ
うに何十にも折り畳まれた会員証を自慢げに見せてくれたことがあり、「あんた
も頑張って続けていくんやで」と伝えてくれたのだと今感じています。これから
も先生の期待に応えて、体の動く限りせいぶ館のみんなと合気道を続けて、輪を
広げていこうと思います。
私が合気道を始めたのは、今から五十年前、精武館でした。現在の「せいぶ館」の壁には、当時の道場名板が今も飾られています。
それを見るたびに、初めて道場の畳に足を踏み入れた日のことが、昨日のことのように思い出されます。
当時の精武館は剣道場が主に使われており、曜日は確か火曜日だったと思います。
稽古の前後には畳の上げ下ろしがあり、それも稽古の一部のように感じていました。土曜日は夕方から、日曜日は午前十時頃から稽古があり、
終わる時間は決まっておらず、正午を過ぎることもあれば、十三時を回ることもありました。昇段・昇級の審査も、年に一度あるかどうか分からないような時代でした。
指導は、横田先生と濱崎先生が中心だったと記憶しています。
横田先生の四方投げはとにかく厳しく、受身が取れないほどで、恐ろしく痛い小手返しや、関節がきしむような二教を、何度も味わいました。今思えば、それもまた貴重な経験でした。
濱崎先生は、技の数こそ多くはありませんでしたが、その一つ一つが深く、忘れがたいものでした。
とくに「誘いの手」についての教えは、私の合気道人生の原点となっています。
合気道で最も大切なのは、相手に自然と手を取らせること。
その技術を、濱崎先生は身をもって教えてくださいました。
あの手の出し方、間の取り方、そして相手を導く感覚は、今も私の中に生き続けています。
これからは、濱崎先生から学んだこの教えを、後輩たちに伝えていくことが、自分に与えられた役目なのだと思っています。
濱崎先生、長年にわたるご指導に、心より感謝申し上げます。
どうか安らかにお眠りください。
子供を産んでから長く道場に通えない月日があったので、そんなに多く一緒に稽古をできなかったけれど、私はこうしてまたせいぶ館で合気道をさせてもらえている。みんなの心の中に穏やかにいる微笑んでいる濱崎さんが、自分のせいぶ館の原風景の中にもいてくれること。そのことはきっと、私がここでこうしていられることに繋がっているんだな。12/7に道場の方々が濱崎さんへの想いを話されているのを聞いて、改めてじんわり感謝の気持ちを抱きしめる。
濱崎さん、ありがとうございます。
私がそちらに行ってお会いできたら、稽古をつけて下さい。
「な?不思議やろ?」って。
ご冥福をお祈りいたします。
濱崎さんは私にとって最高の敬意を込めて「憧れのじいさん」でした。
私が初めて濱崎さんとお会いしたのは、2003年に、それ以前は大阪合気会で稽古させていただいていたのが、転勤で通えなくなり、せいぶ館に入会させていただいて1年ぐらい経った頃だったように思います。たしか、日曜日前半の中尾さんの稽古で、技は座技呼吸法。稽古相手を探していて、「ちっちゃなお爺さんがいるな」と思って、稽古をお願いしたところ、そのちっちゃなお爺さんにぶっ飛ばされて、「なんやこのすごい爺さんは!」と驚愕したことを覚えています。当時、私は濱崎さんのことも、道場長であることも存じ上げていないふつつか者でした(現在も、ふつつか者ですが…)。
日曜の後半のクラスを担当されておられて、小さな体で、ご年齢も感じさせず、軽やかに動きまわられるスタイルで、私はひそかに、弁慶と牛若丸(源義経)の牛若丸にちなんで「牛じじ丸」とお呼びしておりました。特に投げ技が印象的で、入り身投げなどは、受けると畳に「ぐしゃっと」潰される感じで、濱崎さんも「わしの(投げ技)は潰し技や」とおっしゃっていたことが特に記憶に残っています。
ある日、直会で隣の席でお話しさせていただいたときに唐突に「あんた(トイレ後に)、ケツ左手でふけるか?」とおっしゃられ、良く伺うと、武道では利き腕(右手)でない方の腕の扱いが大切で、それには左手をうまく使えるよう工夫することだという教えでした。それ以来、食事の時に使う箸を持つ手を、左手に替えて20年近くになります。このことが、私の合気道の技量にどの程度、好影響を与えたかは良く分かりませんが、私のもう一つの趣味の大道芸には大いに役に立っております。
お聞きしたところによると、濱崎さんは、検査入院されていた後、退院され、介護を受けることもなく亡くなられたとのこと。お亡くなりになられたことは、本当に悲しく、寂しいことではありますが、世の高齢者がそうありたいと願うピンピンコロリ(PPK)で旅立たれたことは、ある意味大往生であり、そんなところも濱崎さんらしいと感じております。
せいぶ館には、濱崎さんと同様に尊敬すべき憧れのじいさんがたくさんおられます。初老と呼ばれる年齢にかかる私も、そのせいぶ館の憧れのじいさんの系譜につながれるよう、これからも稽古をさせていただければと思います。
濱崎さん ありがとうございました。これからも遠くから後輩たちの稽古を見守ってください。』
———————–転送元のメール———————–
From: tango0293@ybb.ne.jp
To: nakaoshingo@gmail.com
Subject: 濱崎さん追悼文をお送りします(丹後)
中尾さん
丹後です。
いつもお世話になり、ありがとうございます。
濱崎さんの追悼文をお送りします。
よろしくお願いします。
『濱崎さん追悼文 「憧れのじいさん」 tan
濱崎さんは私にとって最高の敬意を込めて「憧れのじいさん」でした。
私が初めて濱崎さんとお会いしたのは、2003年に、それ以前は大阪合気会で稽古させていただいていたのが、転勤で通えなくなり、せいぶ館に入会させていただいて1年ぐらい経った頃だったように思います。たしか、日曜日前半の中尾さんの稽古で、技は座技呼吸法。稽古相手を探していて、「ちっちゃなお爺さんがいるな」と思って、稽古をお願いしたところ、そのちっちゃなお爺さんにぶっ飛ばされて、「なんやこのすごい爺さんは!」と驚愕したことを覚えています。当時、私は濱崎さんのことも、道場長であることも存じ上げていないふつつか者でした(現在も、ふつつか者ですが…)。
日曜の後半のクラスを担当されておられて、小さな体で、ご年齢も感じさせず、軽やかに動きまわられるスタイルで、私はひそかに、弁慶と牛若丸(源義経)の牛若丸にちなんで「牛じじ丸」とお呼びしておりました。特に投げ技が印象的で、入り身投げなどは、受けると畳に「ぐしゃっと」潰される感じで、濱崎さんも「わしの(投げ技)は潰し技や」とおっしゃっていたことが特に記憶に残っています。
ある日、直会で隣の席でお話しさせていただいたときに唐突に「あんた(トイレ後に)、ケツ左手でふけるか?」とおっしゃられ、良く伺うと、武道では利き腕(右手)でない方の腕の扱いが大切で、それには左手をうまく使えるよう工夫することだという教えでした。それ以来、食事の時に使う箸を持つ手を、左手に替えて20年近くになります。このことが、私の合気道の技量にどの程度、好影響を与えたかは良く分かりませんが、私のもう一つの趣味の大道芸には大いに役に立っております。
お聞きしたところによると、濱崎さんは、検査入院されていた後、退院され、介護を受けることもなく亡くなられたとのこと。お亡くなりになられたことは、本当に悲しく、寂しいことではありますが、世の高齢者がそうありたいと願うピンピンコロリ(PPK)で旅立たれたことは、ある意味大往生であり、そんなところも濱崎さんらしいと感じております。
せいぶ館には、濱崎さんと同様に尊敬すべき憧れのじいさんがたくさんおられます。初老と呼ばれる年齢にかかる私も、そのせいぶ館の憧れのじいさんの系譜につながれるよう、これからも稽古をさせていただければと思います。
濱崎さん ありがとうございました。これからも遠くから後輩たちの稽古を見守ってください。』
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浜崎先生は精武館に入会したときから雲の上の存在で、にこにこされながらも技の厳しいご指導と審査時などのコメントが印象に残っております。
時を同じくして、50年近くにわたり来神されていた遠藤師範のご指導が中止になりました。
お二方の存在がなくなったことで、精武館道場が一段と遠くなった感覚があります。
遠藤師範を追いかけていたことから、違う方向を向いていた私に対しても、温かく見守っていただきました。
今までご指導やご助言など、たくさんのお言葉をいただき、ありがとうございました。
今後もダメ出ししながら、温かく会員のみなさんを見守っていただけたらと思います。
ご冥福をお祈り申し上げます。